いつもお世話になっている福岡市大名にある美容室、Oafuさんに新しい作品いくつか送ったよ。Oafuさん、本当にいつもいつもありがとう!
ここ数ヶ月、自分でワイヤーを溶かしてHeadpinが作れるようになった。とても些細な進展だけど、でも自分にとってはとても嬉しい進展。ワイヤーの先端を炎にかざしてジュルっとワイヤーが溶けて丸まる瞬間がとてもおもしろい♥
いろいろなメタルの性質?も少しずつわかってきた。例えば銀はとても柔くてすぐ溶ける、銅は銀や金よりも丸まるのに時間がかかる、それがほんの数秒だったとしてもその違いがわかってきた。Gold-filledのワイヤーでは中心のベースとなっているメタルと、その周りをコーティングしているゴールドで溶融点が違うためにうまく丸まらない。そんなことが少しずつだけどわかってきておもしろい。
とても細いワイヤーを溶かしてHeadpinを作って、細かいSeed Beadsを使った作品作りに最近ハマってる♥ものすごぉ〜く地味な作業だけど、夢中になる。今までの大振りなビーズのときとやっている作業は同じなのだけれど、ビーズのサイズ感があまりに違うためにバランス感覚が難しい。まだ慣れない。○○cmの長さを作るのにどのくらいの大きさのビーズがどのくらいの数必要なのかとか、どんな風にぶら下がるのか、まだうまく感覚がつかめなくて何度もやり直し。
福岡市近郊にお住まいの方はぜひOafuさんに行って手に取ってみてください♬
Love and Big Smile :D
nao xox
Sunday, November 13, 2011
Monday, November 7, 2011
ノルウェイの森の霧の中…。
「ノルウェイの森」去年日本で上映されているのを知って、観てみたかった。もうずっと何ヶ月も前にこっちのSydney Film Festivalで上映されるのを知って観たかったけれど見逃してしまった。ついに先月から映画館で普通上映が始まり、お友達と観に行こうと言いつつ時間が合わず、とうとう今日がこの映画を観れる最後のチャンス!だった。朝一番にボスくんにお願いをして、仕事に遅刻をしてまで今朝観に行ってきた。(こんなわがままを許してくれるボスくんが彼以外にいるだろうか。私はどこまで甘やかされているのだろう、と彼のもとで働けていることを改めて心から嬉しく思った。)
原作を、10年くらい前に一度読んだ覚えがある。はずなのに、どんな内容だったのか全く思い出せない。思い出せることといえば、よく意味の分からない本だった、という微かな記憶…。それともあまりにも有名な本だけに自分も読んだことがあるという錯覚に落ち入ってるだけなのか、な。
画像はネットからお借りしました。ありがとう。
もしかすると私が若かったから?それとも私が本気で人を愛したことがなかったから?あれからもう少し年を重ねた今の私なら、あんなに大ベストセラーなこの物語を私も理解することが、好きになることができるかな?そんなことを思いながら映画館へ向かった。
結果、今日一日中どんよりとした霧の中をあてもなくボォーっと歩き続けているような重い気分になってしまった。生と死、性と愛、静と動、清と汚、そういうことをテーマとするタイプの映画は好むほうだと思う、けれど、その全てにおいて何も、映画の中のどの役にも共感することができなかった。
キズキがなぜ自ら命を絶ったのか。彼と直子、ワタナベが三人で過ごした時代がほとんど描かれていなかったからなのか、キズキを失った直子とワタナベの苦しみが伝わってこない。死を選んだ親友、その親友への思い、そしてもがきながらも生きることを選ぶワタナベの心理も伝わってこなかった。
直子が療養所に入ってしまうほど深く心に傷を負ったのはキズキの死だったのか、愛していたのに体が彼を受け入れることのできなかった自分の心と体の相反する矛盾だったのか。僕だけは決して直子を見捨てない、彼女が僕を愛していなくともいいんだ、と、ワタナベの直子へのあの責任感はどこからきていたのか。 彼女を愛していたからなのか、直子もけっきょくワタナベを愛していたのか何なのか。
二人が東京の街を散歩するシーンも療養所で直子がワタナベに自分の胸の内を告げるときのシーンも、私個人的にはもっと静けさが欲しかった。キズキという愛するものを失った悲しみを共有しながらも、それに触れるべきなのかそうでないのか、触れたいのか触れたくないのか触れられたくないのか、もろいガラスの破片の上を歩くような儚さと危なさと丁寧さを感じ取りたかった私の心は、あまりに早く歩く直子とワタナベのシーンとに心が混乱し居心地が悪かった。
直子が自殺を図ったのはワタナベを解放してあげたかったからなのか、それともただ自分の苦しみから抜け出すことができなかっただけなのか。ワタナベの口癖である「もちろん」。直子はそれを止めて欲しいと願った。この言葉が意味するものはワタナベの人の良さなのか弱さなのか、もっとワタナベという青年の性格を表現するカギとなってよかったはずなのに中途半端なキーワードになってしまっていた気がする。
緑とワタナベの愛もとても伝わりにくかった。直子と緑という二人の女性への愛の間で葛藤するワタナベの気持ちも伝わってこなかった。もう十分苦しんだから幸せになりたいと願う緑の今までの苦しみさえも分からないだけに、彼女の自由奔放に振る舞う弱さも可愛さも健気さも何も伝わらない。
直子までもが自ら命を絶ったときワタナベはどういう思いだったのか。悲しかったのか、悲しかったのだろう。でもその悲しみの中に正直どこかで何かから解放されたような自分の中の黒い部分があったりしたのだろうか。「愛しているよ。とっても。」直子の死後の緑への電話での言葉。ワタナベの緑への愛が伝わってこないだけに全てが空っぽに聞こえてしまう。
憧れているのか尊敬しているのか、それともこんな男にだけはなりたくないと思っているのか、両方かな、永沢さんというワタナベの先輩も、自分も患者だと言っていた直子の療養所で直子のお世話をしていたレイコさんも、本当は絶対重要であろう人物たちなのに、彼らの苦しみや人間味、関係性が何も伝わってこないだけに彼らの存在が余計この映画を理解不可能なものにさせてしまっていたように感じた。だから永沢さんのワタナベに向けるアドバイスも何も響いてこないし、それが実は自分自身へ向けていた言葉なのかどうかも、そしてそれをワタナベは本当は知っているだろうことを彼も分かっていたのか。永沢さんの彼女、ハツミさんが彼と別れた二年後に誰かと結婚をし、そして自殺をした気持ちも伝わってこない。レイコさんがなぜ直子の死後ワタナベを訪れて抱いて欲しいと言ったのか、その必要性が何だったのか、何も伝わってこない。
これは私だけかもしれないけれど、映画の最後でワタナベが「僕はどこにいるんだろう?」と呟いたときに、私は上海ベイビーを思い出した。でも私は上海ベイビーを何度も読んでいるし、大好きだし、それにノルウェイの森と上海ベイビーも全然違うお話だけれど、自分と性の関係を持つことができない恋人、その彼への深い愛と彼から受ける深い愛、見捨てることのできない優越さと苦しさ、恋人とは真逆のドイツ人男性とのセックスやその彼と恋人との二人の男性への愛、とか、なぜか上海ベイビーが頭をよぎった。
ノルウェイの森を観ている始終ずっと、自分以外のみんなが大酒を飲んで泥酔して大騒ぎしているのに自分だけがシラフであぁみんな酔っぱらってるなぁ…って冷静で、そんな感覚と似ていた。どんなに体を張った演技でも、口からよだれが垂れてもどれだけ性的描写がでてきても、気が狂ってわめいても、あぁ悲しいん だぁ、へぇやっぱり自殺しちゃったんだぁ、あぁ泣いてるねぇ、何も伝わってこないからそんな冷めた感覚でとてもとても遠く離れたところから観ているように感じた。私は感受性に乏しい人間なのだろうかと少し自己嫌悪にまでなった。
そんな何ひとつ伝わってこなかった共感できなかったのに、じめじめとした湿った霧に包まれた森の中をあてもなく歩く、どんよりとした匂いと感触だけはずっと一日中まとわりついている、私にとってはそんな映画だった…。でももう一度原作、本を読んでみたいなぁ。また共感できなかったら、あんなに日本の文学史上に残るベストセラーも私には理解できないとすっぱりあきらめよう。
唯一好きだったのはあの時代のファッションとインテリアだけ、だった。。よ。
深く愛すること。強く生きること。それが伝わってこなかったんだよぉ…。
feeling muzzy… ;(
nao xx
原作を、10年くらい前に一度読んだ覚えがある。はずなのに、どんな内容だったのか全く思い出せない。思い出せることといえば、よく意味の分からない本だった、という微かな記憶…。それともあまりにも有名な本だけに自分も読んだことがあるという錯覚に落ち入ってるだけなのか、な。
画像はネットからお借りしました。ありがとう。
もしかすると私が若かったから?それとも私が本気で人を愛したことがなかったから?あれからもう少し年を重ねた今の私なら、あんなに大ベストセラーなこの物語を私も理解することが、好きになることができるかな?そんなことを思いながら映画館へ向かった。
結果、今日一日中どんよりとした霧の中をあてもなくボォーっと歩き続けているような重い気分になってしまった。生と死、性と愛、静と動、清と汚、そういうことをテーマとするタイプの映画は好むほうだと思う、けれど、その全てにおいて何も、映画の中のどの役にも共感することができなかった。
キズキがなぜ自ら命を絶ったのか。彼と直子、ワタナベが三人で過ごした時代がほとんど描かれていなかったからなのか、キズキを失った直子とワタナベの苦しみが伝わってこない。死を選んだ親友、その親友への思い、そしてもがきながらも生きることを選ぶワタナベの心理も伝わってこなかった。
直子が療養所に入ってしまうほど深く心に傷を負ったのはキズキの死だったのか、愛していたのに体が彼を受け入れることのできなかった自分の心と体の相反する矛盾だったのか。僕だけは決して直子を見捨てない、彼女が僕を愛していなくともいいんだ、と、ワタナベの直子へのあの責任感はどこからきていたのか。 彼女を愛していたからなのか、直子もけっきょくワタナベを愛していたのか何なのか。
二人が東京の街を散歩するシーンも療養所で直子がワタナベに自分の胸の内を告げるときのシーンも、私個人的にはもっと静けさが欲しかった。キズキという愛するものを失った悲しみを共有しながらも、それに触れるべきなのかそうでないのか、触れたいのか触れたくないのか触れられたくないのか、もろいガラスの破片の上を歩くような儚さと危なさと丁寧さを感じ取りたかった私の心は、あまりに早く歩く直子とワタナベのシーンとに心が混乱し居心地が悪かった。
直子が自殺を図ったのはワタナベを解放してあげたかったからなのか、それともただ自分の苦しみから抜け出すことができなかっただけなのか。ワタナベの口癖である「もちろん」。直子はそれを止めて欲しいと願った。この言葉が意味するものはワタナベの人の良さなのか弱さなのか、もっとワタナベという青年の性格を表現するカギとなってよかったはずなのに中途半端なキーワードになってしまっていた気がする。
緑とワタナベの愛もとても伝わりにくかった。直子と緑という二人の女性への愛の間で葛藤するワタナベの気持ちも伝わってこなかった。もう十分苦しんだから幸せになりたいと願う緑の今までの苦しみさえも分からないだけに、彼女の自由奔放に振る舞う弱さも可愛さも健気さも何も伝わらない。
直子までもが自ら命を絶ったときワタナベはどういう思いだったのか。悲しかったのか、悲しかったのだろう。でもその悲しみの中に正直どこかで何かから解放されたような自分の中の黒い部分があったりしたのだろうか。「愛しているよ。とっても。」直子の死後の緑への電話での言葉。ワタナベの緑への愛が伝わってこないだけに全てが空っぽに聞こえてしまう。
憧れているのか尊敬しているのか、それともこんな男にだけはなりたくないと思っているのか、両方かな、永沢さんというワタナベの先輩も、自分も患者だと言っていた直子の療養所で直子のお世話をしていたレイコさんも、本当は絶対重要であろう人物たちなのに、彼らの苦しみや人間味、関係性が何も伝わってこないだけに彼らの存在が余計この映画を理解不可能なものにさせてしまっていたように感じた。だから永沢さんのワタナベに向けるアドバイスも何も響いてこないし、それが実は自分自身へ向けていた言葉なのかどうかも、そしてそれをワタナベは本当は知っているだろうことを彼も分かっていたのか。永沢さんの彼女、ハツミさんが彼と別れた二年後に誰かと結婚をし、そして自殺をした気持ちも伝わってこない。レイコさんがなぜ直子の死後ワタナベを訪れて抱いて欲しいと言ったのか、その必要性が何だったのか、何も伝わってこない。
これは私だけかもしれないけれど、映画の最後でワタナベが「僕はどこにいるんだろう?」と呟いたときに、私は上海ベイビーを思い出した。でも私は上海ベイビーを何度も読んでいるし、大好きだし、それにノルウェイの森と上海ベイビーも全然違うお話だけれど、自分と性の関係を持つことができない恋人、その彼への深い愛と彼から受ける深い愛、見捨てることのできない優越さと苦しさ、恋人とは真逆のドイツ人男性とのセックスやその彼と恋人との二人の男性への愛、とか、なぜか上海ベイビーが頭をよぎった。
ノルウェイの森を観ている始終ずっと、自分以外のみんなが大酒を飲んで泥酔して大騒ぎしているのに自分だけがシラフであぁみんな酔っぱらってるなぁ…って冷静で、そんな感覚と似ていた。どんなに体を張った演技でも、口からよだれが垂れてもどれだけ性的描写がでてきても、気が狂ってわめいても、あぁ悲しいん だぁ、へぇやっぱり自殺しちゃったんだぁ、あぁ泣いてるねぇ、何も伝わってこないからそんな冷めた感覚でとてもとても遠く離れたところから観ているように感じた。私は感受性に乏しい人間なのだろうかと少し自己嫌悪にまでなった。
そんな何ひとつ伝わってこなかった共感できなかったのに、じめじめとした湿った霧に包まれた森の中をあてもなく歩く、どんよりとした匂いと感触だけはずっと一日中まとわりついている、私にとってはそんな映画だった…。でももう一度原作、本を読んでみたいなぁ。また共感できなかったら、あんなに日本の文学史上に残るベストセラーも私には理解できないとすっぱりあきらめよう。
唯一好きだったのはあの時代のファッションとインテリアだけ、だった。。よ。
深く愛すること。強く生きること。それが伝わってこなかったんだよぉ…。
feeling muzzy… ;(
nao xx
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美しき芸画
Monday, October 31, 2011
閉店後の小さなトキメキ。
大好きな猫ちゃん刺繍バッグが壊れて早数ヶ月。いいかげん直したいなぁと思い、仕事場のお隣が仕立て屋さんなのだ、仕事帰りにちょっと寄ってみる。「そういう分厚い生地はここじゃ無理だから靴の修理屋さんへ行ってごらん」と教えられた靴の修理屋さんへ。「あぁー、そういう分厚い生地はここじゃ無理だからカバンの修理屋さんへ行ってごらん」と。教えられたカバンの修理屋さんがあるのがCityのど真ん中にあるStrand Arcadeの中。着いたら、なんとなく予想はしてたけどね、本日終了の文字…。ま、いいさね。
私は個人的にあまりCityで心躍ることはないんだなぁ。デパートやブランドもの、同じようなものがところ狭しと並んでる。それが悪いことではないのも分かってる。ただ私のテイストとはちょっと違うだけ。
シドニーにもう何年も住んでるのにあまりにもCityを避けすぎてたせいか否か、Strand Arcadeというシドニー最古?オーストラリア最古?のアーケードの存在を今年に入るまでほぼ知らなかった。知っていたのかもしれないけど、気に止めたことなかった。何事もやっぱり先入観で決めつけというか、食わず嫌いというか、はダメだなぁと反省。だってとっても素敵なアーケードなんですもの。
静まり返った人気のないStrand Arcade
閉店後ということもあってか人気はほとんどなく貸し切り状態。ひとつひとつのお店やタイルの模様、アーケードの両端にある小さな階段を登って上の階から吹き抜けになっている下の階を見下ろしてみたり。
ジブリの映画に出てくるようなバロン男爵が「さぁ、こっちだよ」と私をどこかのおとぎの国へ誘ってくれないかなぁ、なんて妄想に独り歩きしながらアーケードをふらふら。
ああぁぁ、閉店後の小さなトキメキ見ぃつけた。ガラス窓にぴったり張り付いて見惚れてしまった!誰がこのディスプレイを考えたのかしら。色と柄の組合わせの天才だと思った。
びっしりと敷き詰められた色鉛筆たちの上にディスプレイされた父の日セット?いや、父の日は終わったはずだから違うか。色違いのランチマットにプラスチックのお皿とコップにスプーンやナイフ、それぞれネクタイ2つとカフリンク2セット。それだけのシンプルなディスプレイなんだけれど、その色づかいに思わず言葉を失って見惚れちゃった。
こんな素敵な父の日のプレゼントしてみたいな。お父さんはこんな素敵なネクタイ着けてくれるかしら?
私の猫のバッグが直ればバロン男爵も現れてくれるかな。ホホ。
Love and Colours!!
nao xxx
私は個人的にあまりCityで心躍ることはないんだなぁ。デパートやブランドもの、同じようなものがところ狭しと並んでる。それが悪いことではないのも分かってる。ただ私のテイストとはちょっと違うだけ。
シドニーにもう何年も住んでるのにあまりにもCityを避けすぎてたせいか否か、Strand Arcadeというシドニー最古?オーストラリア最古?のアーケードの存在を今年に入るまでほぼ知らなかった。知っていたのかもしれないけど、気に止めたことなかった。何事もやっぱり先入観で決めつけというか、食わず嫌いというか、はダメだなぁと反省。だってとっても素敵なアーケードなんですもの。
静まり返った人気のないStrand Arcade
閉店後ということもあってか人気はほとんどなく貸し切り状態。ひとつひとつのお店やタイルの模様、アーケードの両端にある小さな階段を登って上の階から吹き抜けになっている下の階を見下ろしてみたり。
ジブリの映画に出てくるようなバロン男爵が「さぁ、こっちだよ」と私をどこかのおとぎの国へ誘ってくれないかなぁ、なんて妄想に独り歩きしながらアーケードをふらふら。
ああぁぁ、閉店後の小さなトキメキ見ぃつけた。ガラス窓にぴったり張り付いて見惚れてしまった!誰がこのディスプレイを考えたのかしら。色と柄の組合わせの天才だと思った。
びっしりと敷き詰められた色鉛筆たちの上にディスプレイされた父の日セット?いや、父の日は終わったはずだから違うか。色違いのランチマットにプラスチックのお皿とコップにスプーンやナイフ、それぞれネクタイ2つとカフリンク2セット。それだけのシンプルなディスプレイなんだけれど、その色づかいに思わず言葉を失って見惚れちゃった。
こんな素敵な父の日のプレゼントしてみたいな。お父さんはこんな素敵なネクタイ着けてくれるかしら?
私の猫のバッグが直ればバロン男爵も現れてくれるかな。ホホ。
Love and Colours!!
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何気ないひとり言
できた、よ。
今週中に仕上げてみせるぞホトトギス、と詠った前回のブログからアップが少し遅くなってしまったけど、珊瑚の砂遊びネックレス、できたよ。無我夢中で編んでけっきょくあのブログから2日後?くらいには仕上がってた(笑)
もっとじゃらじゃらいっぱいシルバーのビーズをつけてみたり、トーンの違うピンク色のビーズをつけてみたり、と何回かやりなおしたけれど、最終的にはけっこうシンプルにまとまった。薄いサーモンピンク色の貝殻のビーズと合わせて、珊瑚と貝殻で「海からの贈り物」?はたまた「波打ちぎわの忘れもの」。
後者、かな♥
Seed Beadsでいろいろ遊んでみようかな。あ、力が入り過ぎて針が全部折れちゃったんだった。買いに行かなきゃ。
京都で買ったピンク色のvintage着物と波打ちぎわの忘れものネックレス。
頭にはMuseumで落っこちてた拾ったポンポン。
シドニーはすっかり初夏うはは。
春うらら、夏うはは。秋ひゅらり。冬は?冬ふらり?
シドニーで私が大好きな季節かな、ジャカランダが満開になる今頃。日本では桜が咲くと春の訪れを感じれるように、ここシドニーでもジャカランダが咲き始めると、あ!もうすぐ夏だなぁって心がときめく。
Love and Delightful Purple Jacaranda from Sydney :D
nao xox
もっとじゃらじゃらいっぱいシルバーのビーズをつけてみたり、トーンの違うピンク色のビーズをつけてみたり、と何回かやりなおしたけれど、最終的にはけっこうシンプルにまとまった。薄いサーモンピンク色の貝殻のビーズと合わせて、珊瑚と貝殻で「海からの贈り物」?はたまた「波打ちぎわの忘れもの」。
後者、かな♥
Seed Beadsでいろいろ遊んでみようかな。あ、力が入り過ぎて針が全部折れちゃったんだった。買いに行かなきゃ。
京都で買ったピンク色のvintage着物と波打ちぎわの忘れものネックレス。
頭にはMuseumで落っこちてた拾ったポンポン。
シドニーはすっかり初夏うはは。
春うらら、夏うはは。秋ひゅらり。冬は?冬ふらり?
シドニーで私が大好きな季節かな、ジャカランダが満開になる今頃。日本では桜が咲くと春の訪れを感じれるように、ここシドニーでもジャカランダが咲き始めると、あ!もうすぐ夏だなぁって心がときめく。
Love and Delightful Purple Jacaranda from Sydney :D
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ジュエリーのひとり言
Monday, October 17, 2011
珊瑚の砂遊び
私は普段はパートでお仕事をしているんだけど、今週はOlympic Parkで行われた年に一度の "Sydney Bead & Gem Show" に私の働いてるビーズ屋さんが出店するということで、たくさん仕事をした。www.beadandgemshow.com.au
この不景気のせいか否か、年々規模は縮小されているみたいで、いつもは100店舗近くあるはずらしいこのShowも今年はたったの30店舗くらいしか出店されてなかった。それでも初めて行ったこのShowはおもしろかったよ!もう何年もシドニーに住んでいるのに全然このShowのこと知らなかったな。
一番印象に残っているのはインド人の交渉力!私のお店のボス君もインド人だから余計値切ってくるのかは分からないけれど、まぁびっくり。ものすごい数のビーズを買うのだったら分かる。卸売りとしてそれに見合った値段でボス君も取引きをするだろう。でも彼らは違う。たった1本のビーズを買うだけでも半額で交渉してくる潔さ?に開いた口がふさがらなかった。そして意地でもあきらめない。そして家族ぐるみの大人数。30分くらいかけて交渉するのはあたり前。1時間以上も頑張っている人たちもいたよ(笑)最初は驚いたけど段々その光景がおかしくなってきちゃって、くすっ。
私だったらもうげっそりしてるだろうけれど、まぁそこはボス君もインド人で慣れているからなのかな、次から次へと押し寄せてくるインド人大所帯の値切り交渉の波を何事もないかのように交わして行く。あっぱれだなぁ。「ナオもインド人たちとの取引きの仕方を学んで行かなきゃね!ウインク」だって。はははぁ。
そして何よりも私にとっての一番の収穫は、細かいSeed Beadsを使った技術を学べたこと!イエイ!Seed Beadsで作られたものすごく細かい作業に魅了されて、特にバリへ滞在したときにたくさんのSeed Beadsジュエリーを見た。その技術を教えてもらえないかっていくつものお店に聞いてみたけれど、言葉の壁もあってか全然ダメで…。けっきょく二ヶ月近くもバリへいたのにたったの一度もそういう技術を教えてくれる人に出会わなかった。
実はバリへ少しだけ荷物を置いてきててさ。それがつい数週間前に届いたんだ。その中にバリで買ったSeed Beadsのネックレスが入ってた。それを見てまたそのすごさに感動した。そして今回のこの "Sydney Bead and Gem Show" での彼女との出会い!運命としか思えない!
彼女の店舗にはバリで見たときのとほぼ同じようなネックレスがたくさん展示されてた!思わず叫びそうになって彼女に話しかけた。バリでのできごとのこととかいろいろ。私の熱意が伝わったのか、「このSeed Beadsの中から2色だけあなたの好きな色を選んで。ビーズを買うなら簡単なスティッチの仕方を教えてあげるわ。」ってことで休憩時間を利用して教えてもらえた!
その時履いてたピンク色のスカートに似合う2色のピンクのSeed Beadsを選んでレッスン開始。なんとなく少し編み物と似ているなぁって思った。その日はお家に帰ってからも何時間もずっとスティッチやってた。止まらなかった。そのレッスンで彼女に教えてもらったスティッチがこれ。
くるくるツイストしているチューブのスティッチなのだ。どんな糸を使うのがいいのか、どのSeed Beadsが何に適しているのかなどもいろいろ教えてくれた。本当に思いがけない素敵な出会いだった。Tina、本当に本当にありがとう。
彼女に教えてもらったぐるぐるスティッチのチューブを使って今頑張って完成させようとしているネックレスがこれだよ。題して「珊瑚の砂遊び」。
首周りまで全部Seed Beadsで仕上げちゃったらよくこっちのクラフト展なんかで見るありきたりなSeed Beadsジュエリーになっちゃいそうだし、私らしくやっぱりVintage Beadsも使いたい。珊瑚スティッチもモジャモジャくっつけて、シルバー系のVintage Beadsとチェーンで仕上げようと考えてるところ。できあがったらTinaにメールで写真送るんだ!ブログにももちろんアップする。
私のSeed Beadsジュエリー初作品、どんな風に仕上がるかな。とても根気のいる作業だね。分かってはいたことだけれど。今週中には仕上がるかな。仕上げてみせるぞホトトギス。
チャオ!
Love and Beauty of Seed Beads from Sydney
nao xox
この不景気のせいか否か、年々規模は縮小されているみたいで、いつもは100店舗近くあるはずらしいこのShowも今年はたったの30店舗くらいしか出店されてなかった。それでも初めて行ったこのShowはおもしろかったよ!もう何年もシドニーに住んでいるのに全然このShowのこと知らなかったな。
一番印象に残っているのはインド人の交渉力!私のお店のボス君もインド人だから余計値切ってくるのかは分からないけれど、まぁびっくり。ものすごい数のビーズを買うのだったら分かる。卸売りとしてそれに見合った値段でボス君も取引きをするだろう。でも彼らは違う。たった1本のビーズを買うだけでも半額で交渉してくる潔さ?に開いた口がふさがらなかった。そして意地でもあきらめない。そして家族ぐるみの大人数。30分くらいかけて交渉するのはあたり前。1時間以上も頑張っている人たちもいたよ(笑)最初は驚いたけど段々その光景がおかしくなってきちゃって、くすっ。
私だったらもうげっそりしてるだろうけれど、まぁそこはボス君もインド人で慣れているからなのかな、次から次へと押し寄せてくるインド人大所帯の値切り交渉の波を何事もないかのように交わして行く。あっぱれだなぁ。「ナオもインド人たちとの取引きの仕方を学んで行かなきゃね!ウインク」だって。はははぁ。
そして何よりも私にとっての一番の収穫は、細かいSeed Beadsを使った技術を学べたこと!イエイ!Seed Beadsで作られたものすごく細かい作業に魅了されて、特にバリへ滞在したときにたくさんのSeed Beadsジュエリーを見た。その技術を教えてもらえないかっていくつものお店に聞いてみたけれど、言葉の壁もあってか全然ダメで…。けっきょく二ヶ月近くもバリへいたのにたったの一度もそういう技術を教えてくれる人に出会わなかった。
実はバリへ少しだけ荷物を置いてきててさ。それがつい数週間前に届いたんだ。その中にバリで買ったSeed Beadsのネックレスが入ってた。それを見てまたそのすごさに感動した。そして今回のこの "Sydney Bead and Gem Show" での彼女との出会い!運命としか思えない!
彼女の店舗にはバリで見たときのとほぼ同じようなネックレスがたくさん展示されてた!思わず叫びそうになって彼女に話しかけた。バリでのできごとのこととかいろいろ。私の熱意が伝わったのか、「このSeed Beadsの中から2色だけあなたの好きな色を選んで。ビーズを買うなら簡単なスティッチの仕方を教えてあげるわ。」ってことで休憩時間を利用して教えてもらえた!
その時履いてたピンク色のスカートに似合う2色のピンクのSeed Beadsを選んでレッスン開始。なんとなく少し編み物と似ているなぁって思った。その日はお家に帰ってからも何時間もずっとスティッチやってた。止まらなかった。そのレッスンで彼女に教えてもらったスティッチがこれ。
くるくるツイストしているチューブのスティッチなのだ。どんな糸を使うのがいいのか、どのSeed Beadsが何に適しているのかなどもいろいろ教えてくれた。本当に思いがけない素敵な出会いだった。Tina、本当に本当にありがとう。
彼女に教えてもらったぐるぐるスティッチのチューブを使って今頑張って完成させようとしているネックレスがこれだよ。題して「珊瑚の砂遊び」。
首周りまで全部Seed Beadsで仕上げちゃったらよくこっちのクラフト展なんかで見るありきたりなSeed Beadsジュエリーになっちゃいそうだし、私らしくやっぱりVintage Beadsも使いたい。珊瑚スティッチもモジャモジャくっつけて、シルバー系のVintage Beadsとチェーンで仕上げようと考えてるところ。できあがったらTinaにメールで写真送るんだ!ブログにももちろんアップする。
私のSeed Beadsジュエリー初作品、どんな風に仕上がるかな。とても根気のいる作業だね。分かってはいたことだけれど。今週中には仕上がるかな。仕上げてみせるぞホトトギス。
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